「大飯原子力発電所3・4号機運転差し止め」
最近、大飯原発3、4号機運転差し止めという判決が福井地裁でありました。テレビメディアでも報道されていました。
判決内容には、原発の危険性についてや、大規模な地震に対する対策についての事、使用済み核燃料の事など色々とありましたが、判決内容について、私なりに疑問に感じた文言がいくつかありました。
それというのは、今現在、全国の原子力発電所が運転停止中においてのLNG液化天然ガスなどの輸入における多額の貿易赤字に対して、「国富の喪失ではない。」と記されていた事です。「原発停止で多額の貿易赤字がでるにしても、豊かな国土に国民が根を下ろして生活している事が国富であり、万が一原発事故によってその国土が放射能汚染により、これを取り戻す事ができなくなる事が国富の喪失だ。」との内容でした。
これって本当でしょうか。私はどちらも 「国富の流出・喪失である」 と思うのですが・・。
あまりにも偏った判決内容に思えてなりません。
また、「福島原発事故のような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべき」という文言がありましたが,これはあまりに極端で「ゼロリスク」に固執しすぎているように思いました。
二度と福島第一のような事故を絶対に、絶対に起こしてはなりません。
しかしながら、今回の判決内容において、原発に対してだけゼロリスクを求めているようにみえるのは、私だけでしょうか。 もし、この判決が、他の物事にも反映されるとしたならば、今現在、行われているほとんどの物事はできなくなるでしょう。
今回の判決について、あるテレビメディアで、原発推進、反対の立場双方の意見が報道されていました。反対の立場の方は当然の事ですが、画期的な判決内容だ。と絶賛しておられました。
推進の立場の方は、新幹線の例をだして、「どんなモノにもリスクが生じ、万が一はあってはならないというゼロリスクを反映させると、何もできない。」と論じておられました。
「原発と新幹線は次元が違う話だ。」と推進の立場の方のコメントに対して、異を唱えていました。
たしかに 『ゼロリスク』といえば、世間受けはするかもしれませんが、全く現実的ではありません。
しかし、現実、原子力発電所で働いたり、その関係で働き、生活をしている方々も世の中には大勢いらっしゃいます。その方たちの事は全くの無視。『原発の存在自体が悪』といったような低次元の話がいまだにマスメディアにおいて垂れ流されています。
何回も同じコメントになりますが、リスクゼロは、この世の中に存在しません。大なり小なりリスクがあるのがこの世の中です。失敗を繰り返して人類は発展してきたハズです。
万が一、万が一を唱えすぎる事によって、本当の 「国富の喪失」になってしまうのではないかと私は思います。