損害賠償請求訴訟の和解
8月30日、中国電力と祝島の住民ら4名との間で行われていた裁判が、裁判所からの提案により和解しました。
これは、上関原子力発電所の建設に伴う海の埋立工事が住民らの妨害行為により行えず、ムダになった作業船代や労務費など損害額実費の賠償を中国電力が求めていたものです。
翌日の新聞には、まるで被告らが勝訴したかのように「『勝訴より強い』歓迎の声」、「被告住民『勝訴に匹敵』」などの見出しが躍っていました。
果たしてそうなのでしょうか。
確かに、中国電力は損害賠償の請求を放棄しました。加えて、被告らは、「表現行動は制約されない」という和解条件をもって、自らの抗議行動が正当であったかのように主張しています。
しかし、被告らも、埋立工事再開時には工事の施行区域に入らないことや関係船舶の航行を妨げないこと、これらを第三者に促さないことなどを確約しており、これまでのような妨害行為はできません。
「表現行動は制約されない」ということも、あくまでこれらに違反しないことや、法律上保護された利益を侵害しないなどの前提があるものです。表現行動の自由は誰にでも認められています。言わば当たり前のことを言っているだけで、妨害行為の正当性が認められた訳ではありません。
そもそも、今回の損害賠償請求は、被告らの常識を逸脱した危険な妨害行為により生じた損害を正当に請求したものです。被告らが主張する「表現の自由」を問うようなものではありません。「反対」するためには何をやっても良いのでしょうか。経済産業省の敷地内に勝手にテントを設置して抗議行動を行っている市民団体に対し国が立ち退きを求めた訴訟で、先般、国の勝訴が最高裁で確定しました。これについて、ある弁護士が「脱原発を主張すること自体は自由だが、これを違法な手段で行えば著しく説得力を欠くということに彼らは思い至らなかったようだ」と言っているのを新聞で目にしました。その弁護士は「日本は誇り高き法治国家である」とも言っています。この言葉の意味するものは誰もが分かっているはずです。
上関原子力発電所の建設に関し、中国電力が当事者となっている裁判はこれで全て終了しました。
私は、今回の和解で、「損して得とれ」ではないですが、工事再開に向けてまた一歩進んだのではないかと思います。
中国電力も、工事再開を見据えて、現地での妨害行為を行わないという担保を得られたからこそ、請求を放棄してまで和解に応じたのではないでしょうか。
そう考える上関町民は多いと思います。
最後に、賛成・反対は個人の考えですが、上関町民の名に恥じないよう、良識ある行動をお願いしたいと思います。
いつか分かり合えると信じています。